原点に戻ろう
* 皆さん、こんにちは。
今年度38代目の会長として、任命され、ペッツ・地区協など、1年半の勉強期間を頂き無事本日を迎えることができました、川崎幸ロータリークラブ゙37年の歴史を重く背負いながら次年度に無事橋渡しが出来るよう、いそがず、あわてず、ゆっくりと、亀の歩みのように、地をしっかり、踏みしめて、進んでゆく、つもりです。
平成4年6月19日(金)に入会して、早18年目に入ります、丁度 今年と同じ暦になると思います。
当時46の歳が今年で(11月で)64となり、年だけは重ねましたが、ロータリアンとしての活動は何をやってきたか、解りませんが? 与えられた、仕事は出来る範囲で精一杯 頑張って来たような気がします。
6月の末に入会して、言われる、ままに、入会金と たしか、20周年の分担金を支払った記憶がある、7月にSAAに配属。 2〜3週目頃だと思いますが、ガバナー公式訪問の例会で [内海ガバナー] 初めての、司会を任され( 鈴木新作委員長 )ロータリーソングの音楽の演奏が遅れて、近くにいた?会員から、おまえは、何をしている早くしろと、怒鳴られた記憶が 今でも(深く心の傷として??
)残っている、 なんで怒られたかも、解らず、しどろ・もどろの 自分がいました、たぶん 顔面蒼白で 強ばった表情だったと思います。
又、地区協議会と地区大会の交通係で駅でプラカードを持ち、駅の人混みの中、慣れないスーツを着て、うつむき加減に、改札を出てくる人の、バッチを見ながら、慣れない、会釈をしていた、自分を思い出します。
この頃は今より20人以上多い、60人を超える会員数で、平均年齢も私と同じ45歳だった。私自身もそうだったが、とても活気があったクラブでした(現在の平均は63〜64歳位いだと思います)
当時は、一泊の職業奉仕と親睦を兼ねた移動例会、等も毎年あり、部屋で飲みながら、ロータリー談議を交わしていた先輩諸氏、何を話しているのか、今でも解らないのに、当時はさっぱり理解できず、ただ聴いて居るだけ。
会員数が多く私より若い会員も10名以上在籍していたと思います。諸事情により、年々減少し、現在は40数人の会員ととなり、寂しい思いがしています、クラブの活性化のためには、若い会員と、会員数がクラブの源になると思い、毎年同じ繰り返しではありますが、会員増強はとても大切な事で、クラブで一番の目標に掲げてもよいと思います。
又、クラブ発足当時から活躍してクラブを運営、発展させて来られた、先輩の皆様にも、今を機会とし、原点に戻り、クラブ運営に今少し積極的に係わって頂き、若い会員たちと、共に少し昔を思い出しながら、時代に合ったクラブ運営に参画して頂き、今以上に活気あるクラブと成るよう、御一緒に将来に向け頑張って行きたいと思い、是非宜しく、お願いいたします。
RI、地区の目標が何であれ、一番大事なことは、自分たちのクラブが大切で、足元がしっかり地に付いて居なければ何事も前に進む事は出来ない、今年度の目標は、何回も言葉に出していますが,[原点に戻り]自分たちの足元を固め、今以上に 前に進む為の年度となるよう、一年間頑張って みたいと考えています。
原点に という中には、最近は少しマンネリ化して、ロータリーの基本から 少しずつ、ずれてきているような気がします、全てを忠実にと、言うわけにはまいりませんが、最低限のロータリーの精神、クラブ運営なども、一度・定款や、細則を見ていただき、クラブ運営を基本に近ずけるよう、心がけて行くことも大切ではないかと考えています。
被選の時から、全ての委員会の皆さんには、忙しい中、被選の委員会を活発に開いて頂き、色々な意見が沢山出ているようでした、これもクラブの活性化の一つと思い、期がスタートしても数多く委員会を開いて頂き、皆さんの前向きな気持ちがこれからの、クラブの発展の支えになると思います。
特に入会の若い会員や年齢の若い会員・委員長・副委員長の方に、色々な ご意見を出して頂ければ、委員会運営、クラブ運営も、参加して意義のあるものと成っ行くのではないかと思っています。
今期例会のレイアウトを変えてみました、この形は私が入会当時、福田会長・井上副会長・鏑木幹事の年度までの形で、全て同じではないかもしれませんが、半分くらいの皆さんは、記憶にあると思います、これも一つの原点にと言う事かも知れません、この一年はこの形で、進めてまいりたいと、考えています、又日吉さんと、新川崎さんとの3クラブ合同例会も、とりあえず、今期だけは、開催したいと思っています。皆さんのご協力の下、頑張ってみたいと思います。 ぜひ宜しくお願い致します。
* 私が原点と言う、意味は、ロータリー精神の原点という事も、少しはありますが、
私が入会した時期が元と、なっています。
以上が 今年度の原点に戻ってみよう、一年間の目標です。
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